東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

パッと思いつくことをいくつか

 

最近アシカのマグカップをよく使っている。内側が緑、外側はシンプルなアシカ。かわいらしく気に入っている。

友人と行った水族館の写真を見返した。クラゲが有名な水族館でとてもきれいだった。

雨が降っていて涼しかったのでカーペットを敷いた。敷いて何日かしたら晴れの日が続き暑かったので少し後悔した。今日も半袖で過ごすのがちょうどいい日だった。

友人のところへ行く移動時間で残穢を読む。

腕時計が止まっているのに気付いた。私は基本的に腕時計を付けないので困るということはないけれど、これから先使うことが増えるだろうし直しておかなければ。

 

友人が泊まりに来るので短いけれどここで終わる。

 

 

最近読んだ本。

第七女子会彷徨 8 (リュウコミックス)

第七女子会彷徨 8 (リュウコミックス)

 

  

 

 

 

 

視力の話

 

ひどい雨で予定がなくなったので本を読んでいた。私は本を読むときだいたいいつも眼鏡を外す。読書のとき顔と本の距離が近い方なので、眼鏡をかけていると無理やり近くに焦点を合わせようとしてしまい疲れるからだ。最初の頃は顔を離そうとしていたのだけれど気が付くといつの間にか近づいていて、その繰り返しを何度かするうちに直すことを諦めた。顔と本の距離はちょうど裸眼でくっきり見えるあたりだったのでそれからは裸眼で読むようになった。今にして思えば、近くで読むうちに視力が落ちてその距離でしか読めなくなったのかもしれない。もう少し離す努力をすればよかった。

出先で窓の外を見ていたら何かが空中で浮かんでいた。眼鏡をかけていなかったのでぼんやりとしたシルエットしか見えないのだけれど、それでも人間くらいの大きさの何かが浮いていることは分かった。小さい頃からオカルトが好きだったので、UFOか、はたまたフライングヒューマノイドか、なんて思いながら窓に近づいた。目を凝らしてよく見るとその浮遊する物体の上に長細い何かがあることに気付いた。とても大きく、しかも動いている。目を凝らし見てみるとクレーンだった。人間くらいの大きさのものはただの部品。目の悪い私にはワイヤーが見えなかったのだ。拍子抜けする答えだったけれど、クレーンを見たとき一瞬それが何なのか分からず「巨大な何かが音を立てて動いている……!?」と思ったときの興奮は素晴らしいものだった。あんな大きな動くものが日常的にその辺にあることが最近とても面白い。

 

 

最近読んだ本。

いちご戦争

いちご戦争

 

 

 

  

 

 

財布を出すのも億劫だ

 

本屋に行ったら中古ゲームの安売りをしていた。少し欲しかったゲームも売っていたのだけれど財布を出すことすら億劫だったので買わずに店を出た。財布を出すという行為を面倒に思うことが増えた。せっかく持ち運びしやすい薄い財布に変えたのに、ポケットに入れて出かけるような機会が増えなかったのであまり意味がなかった。近所のスーパーに行く時以外はカバンの中だ。

秋が好きだ。少し肌寒い時期、ふかふかのカーペットに横になりタオルケットを掛けるととても幸せだ。壁に持たれかかり本とお茶を楽しみたい。そういう日は雨が降っていてほしい。雨音は好きだし空気がひんやりするのもいい。

タオルケットはいつか誰かの誕生日にあげたいもののひとつだ。なかなかその誰かが見つからない。候補がいるにはいるけれど、タオルケットをプレゼントするくらいの距離になることはおそらくないだろう。

くるりの「つらいことばかり」を聴く。気に入ったのでしばらく聴き続けることになる気がする。

ひとつ気に入った曲を見つけると延々と聴き続けることが多い。そしてそういうときはいつも「あ、もう2,3回聴いたら飽きるな」という感覚がやってくる。あの胸が少しむかむかする感覚にはいまだに慣れない。

自分の中にある感覚なのに慣れないものが多い。これからも増えていくのだろうか。感覚は感じないときが続くだけで自分の中から無くなったりはしないんだよな、とふと思った。なんだか不思議だ。腑に落ちないような、胸に引っかかるような、そんな感覚がする。

 

 

最近読んだ本。

怪談えほん (1) 悪い本

怪談えほん (1) 悪い本

 

 

 

 

 

ゲームセンターに行った

 

一昨日ゲームセンターに行った。人に見られながら何かをするのが苦手な私には縁遠いところだと思っていたのだけれど、話に流れで行くことになった。近くに何店舗かあったので順々に回り、最後の店で少しだけ遊んだ。

ゲームセンターに行くことは少なかったのでゲーム台を眺めても知っているものはあまりなく、何をすればいいんだろうなんて思いながら少し散策。すると壁際に少し知っているゲームがあった。上にはワンコインツープレイと書かれた張り紙。これをやってみようと思い100円を入れた。操作方法はバトル前に左端に数秒映るのみ。それを必死に覚えてプレイした。私が選択したキャラクターは鞭(?)のようなものが使えたのでとにかくそれで遠距離から攻撃した。数試合目で急に敵が強くなり(もしかしたら相性が悪かったのかも)負けて、「あぁ、楽しかったー……」と思った矢先、コンティニュー画面に。正直なところ初めての格闘ゲームで2回目はきつかったのだけれど、操作にも慣れてきたので次は少し楽だった。キャラクターの下Bが強かったのも好感が持てた(私はゲームでは下Bを多用する癖がある)。これで100円はとてもいいと思う。

シナリオクリアできず悔しかったので今日もう一度行き、無事にクリアできた。熱くなって300円使ってしまったのだけれどクリアできたので良しとする。

とりあえずここでゲームセンターには一区切り付けようと思う。私は好きなこと一つにのめりこむ傾向があるので自分で少しでも抑えていかないと……。

 

 

 

最近読んだ本(再読)

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

 

 

 

 

 

 

 

 

『引退』のこと

 

最初に書いておくけれど、今日のブログは決して暗いものではない。『引退』ということに対する自分なりの考えのまとめだ。考えばかりで感情的に書けていない気もするけれど、それはまた追々書くこともあるだろう。

 

 

何度か書いてきたように、私はFAMの他に白山シネサークル求、シネ求というところにも入っている。そこでは毎年夏合宿で三年生が引退することになっていて、今年三年生の私も引退した。

引退するとはどういうことなのか、それがはっきりと分からないまま合宿に行ったのだけれど、二日目の宴会で武藤君と話しているうちに自分にとっての答えに行きついた気がした。

 

私が所属していた白山シネサークル求、通称シネ求は東洋大学白山キャンパス4号館4階にある。シネ求のボックス(私の大学ではサークルの部屋をボックスと呼ぶ)に行く道は色々あるのだけれど私はよく外階段を使っていた。

いつだったか忘れてしまったけれど、武藤君と一緒にボックスに行ったことがあった。その時も外階段を使っていて、確か、武藤君、私の順で上っていたように思う。彼が階段を上るときの「トン、トン、トン」という音、私はそれと少しずれるように「トトン、トトン、トトン」と鳴るように上った。階段を上り切った私たちは今の音のリズムについて話し軽く笑いながらボックスに入った。

このなんてことない思い出をどうして今も覚えているのかというと、これがシネ求に行くまでの道で起こったことだからだ。シネ求に行く階段を上っていると時々ふと思い出すのだ。思い出すきっかけが常に隣にあったから今まで思い出せてきた。

でもこれからは違う。引退してからはあの道を使うこともほとんどなくなるかもしれない。そうなればもう思い出すきっかけがなくなりいつか忘れてしまうだろう。階段の思い出がいつの出来事だったか私は覚えていない。日付を思い出すようなきっかけを持っていないからだ。これと同じようにしていつか忘れてしまうのだろう。思い出すきっかけを失うことで思い出は消えていく。

 

だからといって今まで通り来れば解決、というわけでもない。たとえ名ばかりの引退でもサークル員ではなくなる。それ以降どれだけサークルに行ったとしても、それは以前のスタンスとは違うものだ。

ボックスで同期に会おうとしても、きっとこれからは連絡を取らないと待っていても会えないだろう。連絡せずに会える時間はきっと引退したことで終わってしまった。

 

思い出すきっかけを失うことと連絡しなければ会えなくなること、これが引退する前と後で変わってしまうことなのだと思った。

 

 

そういえば、今回の合宿で多くの人と仲良くなれた。これからも仲良くできるだろうか。難しいことやネガティブなこと、斜に構えたことは無視する。話して楽しいからこれからも仲良くしたいと思った。そこで止めておく。これ以上考えたとしても今の私の頭では良い方には行かないだろうから。

できることなら、これからもみんなと会えたら、と思う。

 

 

 最近読んだ本。

 

 

 

 

 

 

 

いつもより少し長い話

 

 この間読んだ『バーナード嬢曰く。2』に、J.G.バラードの『結晶世界』と『失われた時を求めて』という本が出てきた。作家名とタイトルに覚えがあったけれど普段私は海外作家の作品は読まない。ではどこで見たのだろうと考えていたら思い出した、Mに教えてもらったのだった。確かラジオで喋ったなと思い、聴き返してみる。ユタを待ちながら第4回にどちらの本のタイトルも出てきていた。配信日は2014年07月12日、1年以上前だ。

こういう体験が時々ある。本を読んだり会話をしたりしていて、そのとき出た単語に聞き覚えがある、みたいなそういう体験が。きっと誰しも日常的に体験していることなのだろうが、私はこの体験の頻度が人よりも多い気がしている。というのも、自分はこれが詳しいといえるものがあまりにも少ないからだ。私は好きになるとそれしか摂取しない傾向にある。それは食事の場合もあるし、本や映画、音楽の場合もある。そこからそのジャンル全体に興味が移ることはほとんどなく、ただひとつのことを延々と繰り返すだけだ。そのひとつにはもちろん詳しくはなる。けれどそれはたったひとつに特化した知識であってそこから何か新しいものに派生することはほとんどない。本来ジャンルそのものに向けられるべき情熱を、最初からジャンルの枝の末端に注いでいるのだから当然だ。人と会話をするにしてもそんな知識はあってもなくても同じようなもの。この世界にある数え切れない程のコンテンツの中のとあるジャンルのとある作品だけに詳しい、これが時々とんでもなく無意味なことに思える。その作品しか知らないのでそのジャンルが好きな人と長時間会話を続けられる自信はない。詳しくない人との会話でも、ジャンルそのものの話が出ることはあれど自分が詳しい作品についての話になることはほとんどない。独立した知識は会話の役には立たないような気がする。会話のために知識を得る訳ではないが、人と共有するのも大切なことだ。それができないのはひどく寂しい。どことも強く繋がれない気がしてくる。

こんな自分の状況を変えたいと思い、本を選ぶときにはタイトルだけでなく作家で選ぶようにし始めた。興味を持った映画を見るようにし始めた。CDを借り始めた。ここ最近の変化はこれが理由だったのだ。こうして文章にして読んでみると滑稽に思えてくるけれど、今の自分にはこれがちょうどいいのだと思うことにする。自分が良い方向に進むための選択をしていこうと思う。

 

話は戻ってJ.G.バラードについて。というかそれを介しての体験について、だろうか。

以前どこかでこの言葉を聞いたな、ということがよくある。さっき書いた自分の知識のことなどは置いておいて、この体験自体が私は好きだ。以前どこかでした会話と今が結びつく瞬間は温かい気持ちになるし、友人とした会話が今とどこかで繋がっているように感じられるのもいい。こんな、いつか思い出して温かい気持ちになれる思い出をたくさん作っていけたらいいなと思う。

他の人もこういうことがよくあるのだろうか。もしあるのなら、そのときどんな気持ちなのだろう。誰を思い出すのだろう。私も誰かに思い出されるのだろうか。

 

 

 

最近読んだ本。

  

 

 

 

 

 

 

 

夏休みが始まる

 

最後のレポートも書き終わりようやく自分にとっての夏休みが始まった。

はてなブログを開いたら投稿画面が変わっていた。

これ以上書くことがない。一週間何もなかったわけではないけれど、ブログに書くことではなかったり文量が多くて書く気が起きないようなことばかりだった。今日はパソコンに向き合いっぱなしだったので疲れた。明日からに備えてもう寝ることにする。

終わり。

 

 

今読んでいる本。

よもつひらさか往還

よもつひらさか往還