東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

感覚が戻らない。

 

この前の授業で配られた出席カードの色が列ごとにばらばらだった。色が違うことに特別意味なんてないみたいだったけれど、今までこんなに雑に出席カードを扱う授業を受けたことがなかったから少し驚いた。教卓に出来上がった色とりどりのカードの山はそれなりに綺麗に見えたけれど、物珍しかったからそう感じたのだと思う。文学性を見出すとどんなものも必要以上に綺麗に見える。

 

階段を下りようとしたとき目の前の男子学生が「今日は違った階段から降りるぜ」と友達に言っていて面白かった。階段を下りたところのベンチに知り合いがいたらしく、「な? こういうこともあるだろ」と言っていたのも聞けてよかった。どうして普段とは別の階段から降りようとしたのかも聞きたかった。それだけは残念。

 

友人とカレーを作った。彼の作り方は私よりも凝ったものだったから作っていて楽しかった。ナスを入れたのは初めてのことだった。肉を炒めるときに梅酒を使ったのには驚いたけれど、いつもより美味しかった気がする。ただ、いつもと違う作り方過ぎて(というか普段の私が雑なだけなのだけれど)調理のどの段階で具の味に違いが出たのか分からなかった。

 

ブログの感覚が戻らない。前からぶつ切りの文章ばかり書いていたけれど、今回のは特にそうだ。もしかしたらメモ帳にメモしておいたネタを見ながら書いたせいかも知れない。書くのが好きという気持ちはあるからそのうち良くなればと思う。たぶん用意して書くよりは考えながら書く方が自分にはあっているのだろう。

 

 

最近読んだ本。

ありきたりの痛み

ありきたりの痛み

 

  

 

 

 

 

生活のこと

 

久しぶりの更新。

最近は、真面目に料理をすることを目標に生活している。最初は気まぐれにちゃんとやってみようと思っただけなのだけれど、やってみたらとても良いものだと気付いた。

料理を始めてからというもの、一人暮らし後から漠然と感じていた日々の断続感のようなものが消えていくのを感じる。夜の残りを朝食べたときや何食かに分けて食べることを考えて買い物をするとき、昨日の延長線上に今日があること、その延長線上に明日があることを感じられる。睡眠でリセットされてまた別の一日、という感覚から来る断続感が、昨日作っておいたものを食べることで薄らいでいるのだと思う。それに何かがきちんと続いているというのは気持ちがいい。この気持ちがあるから料理を続けられているんだと思う。

私は誰かに言った途端に続かなくなるタイプ(我ながら最悪のタイプだと思う)だからブログに書こうか迷ったのだけれど書くことにした。今後どうなるにしても今を記録することは大切だ。ブログも料理も続けて行きたい。

 

中学時代からの友人が遊びに来るそうなのでここ何日かは掃除もしている。部屋の中だけではなく何でもかんでも押し込まれている押入れもだ。レジュメの山も整理しないといけない。

 

今の勢いが続くうちに生活を軌道に乗せたい。いや、もしかしたらそう思っている今はもう軌道に乗っているのかも。

 

かぼちゃの味噌汁が美味しくできた。ぶり大根はレシピよりも実家の通りの切り方の方がよかったと思う。味は良かった。小松菜のおひたしは味が薄かった。分量に注意。大根の味噌汁はもっと丁寧に大根を切ること。アボカドを使うときは扱い方に気を付けること。

ざっと思い出したのはこれだけ。これからはメモを付けた方がいいかもしれない。

 

 

最近読んだ本。

超芸術トマソン (ちくま文庫)

超芸術トマソン (ちくま文庫)

 

  

 

 

 

 

クレヨン王国の夢はもう見ない。

 

センスに強い憧れがある。ここでいうセンスというのはその人の行動や主張のセンスではなく直感的な部分のことだ。二つに一つを選ぶとき、あとで後悔しない選択ができるようなセンスが欲しい。ここまで書いて思ったのだけれど、これってセンスではなく心構えの問題かも。

上の階の人が毎晩11時とすぎるとドンドンとうるさい。何をしているのかは知らないが、これは飛び跳ねる音以外のなにものでもない。いつも30秒ぐらいで終わるので今日も我慢しようかと思ったのだけれどブログを集中して書きたかったので上に向かって「うるさい」と言ってみた。そうすると飛び跳ねる音はすぐに収まった。今日の分の飛び跳ねが終わったのか、私の声が届いたのか。もし私の声が届いたのだとしたら少し悪いことをしたかな、とも思う。「うるさい」と言った時の私は足音とは別の、モヤモヤとした気持ちのせいで少しイライラしていて、それで言ってしまったからだ。普段からイライラしていて言ったのなら別に気にはしない。でもその時の私の言葉には少し八つ当たりが入っていて、だからそれは反省するべきかもしれない。

モヤモヤしたままだと句読点が多い気がする。それ以外の気持ちの時でも句読点が多くなる時はあるけれどもモヤモヤしている時だってそうだ。感情が前面に出ているときは下手に単語の数を多くして勢いを出してしまう。

そういえばこの間テレビをつけたら夢のクレヨン王国というアニメをやっていた。私が子供の小学校に入る少し前にやっていたアニメで当時は毎週欠かさずに見ていた。登場人物の性格なんてすっかり忘れていたものだから、久しぶりに見ると懐かしさよりも先に「こんな子たちだったのかぁ」という気持ちが込み上げてきた。忘れてしまった思い出に懐かしさを感じることはできないのだと気付いた。クレヨン王国のことを書いていたら少し気が晴れた。不思議なものだ。このままいい気分で眠りたい。

 

 

 

最近読んだ本。

完全言語の探求 (平凡社ライブラリー)

完全言語の探求 (平凡社ライブラリー)

 

  

 

 

 

 

泣く身体

 

ここ最近、朝起きるたびに体が軋むような痛みを感じていた。一日二日ならそこまで気にはならなかっただろう。しかしこれが続いていたものだから、寝ている時いったいどんな態勢になっているんだろうとずっと気になっていた。その謎が今朝解けた。原因は枕だった。

今まで私はベッドに低反発の枕、態勢を横にして抱き枕代わりに古い枕を抱くという風にして眠っていた。しかし少し前それが変わった。気まぐれに抱き枕を使わず仰向けに寝てみたら腕の解放感とベッドの広さに感動したからだ。そのことがあってからは抱き枕を使うことも減り横に寝ることも少なくなった。体が痛くなったのもちょうどそのあたりだ。態勢が横向きであれば肩の幅分あたまの位置が上になる。それで今まではちょうどよかったのだ。しかし態勢が仰向けになると頭の位置は下がる。それなのに枕は変わらないものだから身体が痛くなっていたのだ。

これに気付いたのは本を読むために手に取った枕が低反発ではなく古いものだったからで本当に偶然だった。そのとき私はベッドにいて、普段なら壁にもたれかかって読むのに寝転がっていて、横向けではなく仰向けで読もうとしていた。考えてみれば当たり前のことだしここまでよく気付かなかったものだと思う。今日からは安眠の予定だ。低反発の方は読書の時と横向きに寝るときに使おうと思う。読書の時は低反発の頭の位置がちょうどいい。

 

仲の良かった(と私は思っている)インターネット上の友人の連絡先をこの間偶然見つけた。スマートフォンの電話帳を使っていたとき彼のアカウント名がその一覧の中に混じっていたのだ。おそらくスマートフォン内の連絡先のほとんどが表示されるように設定されていたのだろう。それにしても見つけた時には驚いた。こんなところに連絡先があるとは想像もつかなかった。詳しくその連絡先の詳細を読んでみたところ、知り合ったSNSのアカウントは消したけれど通話をするためのSNSの方はしばらく残しておくことにしたらしい。いまは彼に連絡を取ろうかどうしようか考えているところ。

 

 

最近読んだ本

泣く大人 (角川文庫)

泣く大人 (角川文庫)

 

  

 

 

 

 

2015年12月31日22時32分

 

最後にブログを書いたのはいつだったろうと思い確認してみると10月3日だった。もともと遅れることもあったとはいえ2か月(今日は31日だから正確には3か月近くになるわけだけれども)も放置していたのかと思うとなんだか少し罪悪感も感じる。今日12月31日が木曜日でよかった。今日が私の担当曜日でなければおそらく更新のことを適当に悩んだまま新年になっていただろう。

今年の本10選みたいなことでもしようかと思ったのだけれど、このブログを書かなくなってから読書メーターの更新もしなくなってしまったので残念だけれど別の機会に取っておくことにする。帰省する前に本棚の写真でも撮っておけばよかった。ブログを書かなくなってから読書メーターの更新をしなくなったということは、ブログが自分のリズムの一つになっていたということなのだろう。ブログを書く、本を読むのリズムというのはあの頃(ほんの数か月前だが)の自分が思っていたよりもいいリズムだったのだろう。ブログを書かなくても本は読んでいたけれど、ブログに載せる時に今週読んだ本のどれを載せるか、この本はどんな内容だったかといったことを考えることが多かった。あれのおかげで自分の読書を毎週振り返れていたのだから大切なことだったのだと思う。それに読書メーターの記録をつけなくなったのもブログをしなくなってからだったしこれはまた書き始めるべきなのだろう。

久しぶりなんだからたくさん書こうと思って書いては消し書いては消しを繰り返したのだけれどやっぱりやめることにする。もっといつも通りのリズムを大切にするべきだ。

一昨日サクラダリセットという本を読んだ。高校の頃に読んだ以来だったのだけれどなんだか当時よりも楽しく読めたような気がする。この本の皆実未来という少女の台詞で気に入っているものがあって、それがこれ。

「それでいいよ。誰に嫌われてもいい。別に、強い力が欲しいわけじゃない。光に当たったら火傷するとか、そんなのでいいの。私も何か、特別な部分が欲しかった」 

こういう気持ちはいつまでたっても自分の中にあり続けるのだろうなと思った。

 

それでは、良いお年を。

 

 

最近読んだ本。

 

 

 

 

 

六花亭のお菓子を食べた

 

サークルの先輩にお土産でもらった六花亭のStrawberry Chocolateをついに食べ終わってしまった。近所のスーパーでバターサンドを見ることはあっても、それ以外のお菓子は一度も見ないなぁ、と思った。でも私が知らないだけでどこかで売られていたりするんだろうな。

注文していた本が届いたので寝る前に読もうと思う。前々から本棚の棚を一つ増やしたいと思っているのだけれどいくらニトリのサイトを眺めても私の使う本棚の棚だけが見当たらない。どうしたものか。

ツイッターを眺めていたら『今夜、すべてのバーで』の感想が流れてきて、友人に借りたのにまだ読んでいなかったことを思い出した。近いうちに読もう。

図書館の本の貸し出し期限の延長をした。今回は延滞する前に手続きができたのでよかった。

『僕の好きな人が、よく眠れますように』を読んだ。この本を読むのはこれで何度目だろうか。次は『絶対、最強の恋のうた』を読むつもりだ。

 

 

 

最近読んだ本。

僕の好きな人が、よく眠れますように (角川文庫)

僕の好きな人が、よく眠れますように (角川文庫)

 

  

 

 

 

大学が始まった

 

大学が始まって3日が経った。夏休み終了直前で急に乱れだした生活習慣は後期初日の朝にきっちりと調整された。起きたらすぐにカーテンを開けること、できるだけきちんとした食生活を送ること、これだけでぼんやりとした不安が少しだけ見えなくなるのだと気付いた。

昔読んでいたライトノベルを読み返した。あの頃の自分がどんな気持ちで読んでいたのか思い出されて懐かしくなった。地元の書店のおすすめの本のコーナーが好きだったことを思い出した。書店の店員の趣味がそのまま反映されていたのが気に入っていた。勧められていた本を買ったはいいのだけれど、その後読んだ記憶がない。次の帰省の時に読んでみよう。もうずいぶん長いことライトノベルを読んでいない。高校2年生に上がったあたりから読まなくなった気がする。こっちに持ってきたものを読んでみるのも面白いかもしれない。あのころの気持ちがなんだか懐かしい。

 

 

最近読んだ本。

吉永さん家のガーゴイル10 (ファミ通文庫)