東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

人間以外と喋りたい

一週間あっという間ですね。火曜担当M藤です。

 

新学年になって初めの一ヶ月ということで最近初対面の人と話すことが多くて、そういうときの掴みの話題として僕は「水木しげる先生が今何歳か知ってる?」っていうのを多用してるんですけど、同じくらいよく聞くのが「好きな映画は何?」ってことです。この質問は僕も頻繁に聞かれて、そのたびに「バニラスカイ」とか「アメリカンビューティー」とか答えてるんですけど、なぜかいつもすっきりしない気分になります。もちろん『バニラスカイ』も『アメリカンビューティー』もすごく好きな映画なんですが、それよりももっと自分にとって重要で、見たときに心から感動した映画があったような気がしてしまうんですね。

どうしてこんなことが起こるのかについて自分なりに色々考えてみて、そしてあることに思い当たりました。

僕の父親っていうのがかなりの映画好きで、休みの日には夕方ごろからソファーに寝転がって、レンタルしてきた映画をよく見ているような人だったんです。そして子供の頃の僕は一つの映画を始めから終わりまで見る集中力がありませんでしたから、父が見ている映画を気まぐれで数分数十分見て、また自分の遊びに戻るっていうことをやっていました。なのでこの時期に僕はかなりたくさんの映画を部分的にであれ見ていたはずで、そしてそのうちのいくつかが今でも僕の心の深いところに残っている可能性があるんです。つまり、そのようにして無意識の中に残る幼少期に見た作品への愛着ゆえに、自分は青年になってから見た映画を「好きな作品」としてあげることに違和感を覚えるのかもしれない。

そしてさらに考えたんですが、このようにして「見たことは忘れているが愛着だけは心の中に残っている作品」というのは人間の欲望に多大なる影響を与える可能性があります。例えば「子供の頃にインディージョーンズを見て感動したが成長しそのことを忘れてしまった人」はそのような体験をしていない人に比べ古代遺跡を見たときの興奮の度合いが強いかもしれません。

そのことを思うと僕が「本当に」好きな映画を知るのは割と簡単なことかもしれない。「なんでか分からないけど見ると興奮したり、強く惹かれるもの」をリストアップして、父親にそのようなものがでてくる映画を家で見たことがないか聞いてみればいいのです。

だから今度父が帰ってきたら、僕が子供の頃家で「擬人化された動物」と「ラフな格好をした女の子」が出てきて「車を洗ったり」レゴとかファービーみたいな「子供の玩具」で遊んだりする映画を見なかったか聞いてみようと思っています。

 

今回中身がない上に無駄に自分の趣味趣向を明かしてしまった気がしてなりません。午前中けもケットに行ってきたので若干気分が浮ついているのです。今僕の携帯のカメラロールには友人が犬の着ぐるみに頭を撫で回されながら満面の笑みを浮かべている写真が20枚くらい保存されていて、それを見ているとこの世に悪いことなんてないんじゃないかって気分になってきます。それではまた来週。