東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

キグルミグルイ

こんばんは、この前高校の同期から「キグルミインタビュー本貸してくれ」ってLINEが来たので「どうした、ついに作るのか」と聞いたら「本気でやってみたい」という返事と共に構想を描いたデッサンまで送られてきてテンションMAXのM藤です。どうやらエリマキトカゲをモチーフにしたやつを作りたいみたいで、もちろん実現のためには惜しみない援助を捧げる所存。

いやーついにきたか、って感じなんだけど、それと同時に考えたのは「キグルミを見て楽しむ」ということと「キグルミに入って楽しむ」ということの違いで、案外この二つの差は大きい気がしてならない。

前者の欲望の根にあるものは単純で、ようするに人間以外の生物とふれあいたいっていうことだ。我々人間は普段人間のことしか考えない。これはあたりまえのようであたりまえのことではなく、たとえばナナフシは天敵の目を欺くために木の枝に擬態するし、アリは甘い蜜を手に入れるためにアブラムシの世話をする。そんなこと言ったら人間だって家畜の世話をするじゃないかという反論がありそうだけど、人間の場合はあくまで「家畜化」という完全なコントロール下に動物を置くのだから、やっぱり他の動物の例とは異なる。人間以外の動物においては自分たち以外の種族との関わりというのがとても切実な問題として、生きることの中心に置かれているのだ。つまり人間同士でしか交流を持たない我々の方が自然全体から見ればイレギュラーな存在で、やはりそこには無理が生じざるを得ない。どうしたって閉塞感・息苦しさというものを感じてしまう。だから我々はわざわざ遠い海までクジラを見に行ったりするのだろう。イルカを狂信的に愛する人がいるのも多分このことが理由で、彼らは人間と同等の知能を持つ、人間以外の存在と関わりたがっているのだ。そしてキグルミの場合も言わずもがな。僕は人間以外の何かに手を振ったり握手したりして欲しいと思ってる。

しかし後者の根にある願望は全く異なるものだと僕は推測する。おそらくそこにあるのは変身願望、「異形」の者になりたいという変身願望だ。

異形とはなんだろう。僕個人の考えをいうなら、それは「この世に一体しかいない」存在であるということだ。一切のかわりがきかない存在。例えばイエスキリストや、姫路城に隠れ住むと言われる長壁姫。できれば繁殖不能であることが望ましい。その意味で四本の足を持った美少女ジョセフィーヌ・マートル・コービンはとても魅力的な存在ではあるが四人の子供を出産したという点で僕にとって異形の者ではない。

我々は異形の者に惹かれ続ける。この世に一体しか存在しないということから生じる圧倒的カリスマ性と力強さ。そしてそのような異形の者に自らもなりたいと願ったときに、キグルミに入るということは最も直接的な手段となるだろう。自作のキグルミに代わりはない。繁殖もおそらく不可能だ。今日本で最も有名なキグルミであるふなっしーのカリスマ性を思い出してほしい。あれがキグルミに入り異形の者になるということだ。

ここまで書いて前者と後者の欲望が同時に満たし得るものであるということに気付いた。とにかくキグルミの中に入ることだ。そのとき我々は異形となり、人間すら別種の生き物になる。キグルミを作ろうとしている友人の判断は考えれば考えるほどに正しいものであると思わざるを得ない。今僕がやるべきなのは彼のそばでノウハウを学ぶことだろう。