東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

女の子のドキッとする仕草……?

 

授業の準備をしている塾講師の隣でブログを書いている木曜日担当の土井です。

 

最近どうやらM藤くんが私の仕事の締め切りをしれっと記事に書いているようですね。あれを見るたびに私はどこから来たのか分からない渋さと面白さを感じています。……やります、きちんとやります。

 

さっきは塾講師の隣でしたが今度はM藤くんの斜め向かいで書いています。

場所は学食。天気は晴れ。気分が良いです。気分が良いからなのかまた文体が少し違いますね。本当はさっきまで記事を書いていたのですが書けば書くほど中島みゆきの歌詞のようになってしまい一度消したのです。「話を戻して……」なんて書こうと思ったのですが戻す話もありませんね。さっきの記事を消してから内容も変えることにし、しかしちょうどいいものが見つからずこんな感じです。

 

書く内容もなくなりM藤くんにお題を出してもらうことにすると、彼は満面の笑みで「女の子のドキッとする仕草」と。ドキッとする仕草は何か、と聞かれると私は結構困ってしまいます。というのも私の思う女の子のドキッとする仕草って『普通さ』なんですよね。例えば机の上のものを取る時とか。当然机の上のものを取ればそれにドキッとするわけではないんです。ものを取る時の動きの早さ、滑らかさ、身体の軸の動き、そういったものを何気なく感じ取ってその情報がしっくりきた時、ドキッとするんです。あくまでも自然に、少し早い位でもいい、優雅に腕を伸ばすのではなく何気なく手を伸ばすように、「すいませーん」といって人の肩と肩の間から手を伸ばす時の少しの重心のぶれ、そんなのにドキッとするんです。多分。あ、すいません、やっぱりよく分からないです。本当はこんなのじゃないのかも。「こんなの」って言い方をしたけれども本当はこんなのなんて思ってはいないんだけれども、それでも「これじゃない」とはまた違う気持ちなわけで。やっぱり私にとっての『ドキッとする仕草』はこう言った文章によるものじゃないのかもしれない。ちなみになんで多分なのかといえば「どんな時にドキッとするんだろうか」と考えている時にいつの間にか空想のエンジンがかかってしまい、心というよりも脳で考えたものになったからなんです……。実際どんなところにドキッとするかといえば……どこなんですかね。最初に書いた『普通さ』は自分でもしっくりきているので多分そこなんでしょう。もちろん、ただ呼ばれて振り向くしぐさが良い、歩いている様子が良い、というものではないのですが。

 

私が書いている『普通さ』というのは多分現実において出会うことがないような部類のものなのだと思います。小説の中に出てくるような普通の人、普通の人として描かれている尖ってなんかいない本当の意味で普通な人。そんな人が現実にいて成長しこの世界においての普通さと創作の中の普通さを持ち合わせた『愛しさを持った普通さ』をもった存在になったとして。そんなありえない人のありえない『普通さ』なんじゃないかな、と。ドキッとする仕草をイメージしたときに、最初にこの世界に存在しないものを思い描いてしまう私は何なのだろうかと思いました。学食は生徒でいっぱいです。ここの人たちはみんな自分の目にうつすことができるドキッとする仕草を持っているんだろうかと不意に思ったのでした。

 

では来週にまた。