東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

河口湖二日目

どうもM藤です。現在河口湖近くの宿におりまして、夜はレンタカーで道志川というところに行って川天狗をウォッチしてくる予定なので、こんな変な時間にブログ書いてます。
旅行中の移動はほとんど現地で借りたレンタカーで行っているんですが、あれですね。友人が運転する車に乗るというのは甲子園に出場している球児たちが全員年下であると気づくという体験同様自分が既に大人になってしまったという現実を突きつけてくるのでウッとなります。年齢と内面のギャップが不安を煽り立てるわけで、妖怪探しはそのバランスを取るためのものだと言えなくもないですね。
この前ホドロフスキーという映画監督の『リアリティのダンス』という作品を見ました。監督自身の自伝が原作になっていて、ホドロフスキー本人も出演しています。
序盤に出てくるある場面が特に印象に残っています。ある罪を犯して海に身投げしようとする少年時代のホドロフスキーを現在の老人となったホドロフスキーが後ろから優しく抱きしめ、「今身投げしてはいけない 生きていればいつか私になれるから」と優しく諭すのです。老年期に達したホドロフスキーの中に、罪を犯し、その罪悪感に苦しむ少年のホドロフスキーがそのまま生きているのです。
少年期というのは多分誰でも複数の悩みを抱えるものだと思います。そしてそれらを解決しないまま大多数の人は大人になっていくわけであり、僕はそれは欺瞞であると思っていたんですけど、しかし『リアリティのダンス』の中では前述したように年をとった後で自分の中に生き続けている少年期の自分を見つめ直しその傷を癒す、という行為が描かれているので、それが可能であるなら内面が成熟しないまま形だけ大人になっていくことにも一定の救いはあるのでは、と思ったりしました。おわり。