東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

大学イズデッド

あー、大学始まっちゃいましたね。いや、本当は先週の時点で始まってたんだけど、そのときは見て見ぬふりをしてたというか、一週間たってようやく現実を直視する気になったよ。ボーイミーツユニバーシティー、アンドドロップアウト。俺は中退して機械工になり気の良い娘さんと楽しく暮らしたい。

とはいっても鬱だなんだと騒ぐほど大学真面目に通ってるわけでもないんだけどね。文学部は読書してれば学校こなくても許される理論にもとづき最近の僕の学校はジュンク堂ベローチェだ。スタバでマック開いてるやつは全員経済学部だから許すな! で、特に理由もないんだけど昨日今日で『スローターハウス5』っていう中二の頃に読んだ本再読してて、そして思ったのは本の印象ってのは変わるもんだなあってことですよ。この本の作者はカート・ヴォネガットっていうアメリカ人で中学生の頃にどはまりして、当時は「達観してる陽気なおじいちゃん」くらいにしか思ってなかったんだけど、今読み返してみると半端じゃない虚無感に圧倒される。当時達観だと思ってたものは人生に対する諦めから来ていたのかもしれない。この人の作品の中には悪人らしい悪人は一人も出てこないんだけど、それでもたくさんの人が殺されたり不幸な境遇に陥ったりするわけですよ。カート・ヴォネガット第二次世界大戦の従軍経験があってそのときにドレスデンの大空襲に巻き込まれたりなんたりで人間ってのは特に理由もなく死ぬし不幸になるってことが身に染みて分かってしまったのかもしれない。ヴォネガットについて特記すべきことは彼が無神論者だということ、世界が思ってたほどいい場所じゃなかったとしても人間の英知によってある程度住みよい場所にできるかもしれないし、そうするべきだという思想を生涯貫いたことで、世界ってのはだめなところだな、って思った後もできる限りで楽しくやろうとしたその姿を思うと暖かさとともにどっと疲労感のようなものが湧いてくる。ヴォネガットの文体はすごいユーモアに溢れてて、中学生の頃はその部分しか見えてなかったんだけど、ほんとはたまにデパートで売ってるスパイス入りチョコみたいなもんだったんだなあと思った。辛いというよりもはや痛くて食えないレベルである。(M藤)