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東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

辞典の意味が同じでも

 

 

『波よ聞いてくれ』という漫画を読んだ。この本に興味を持ったきっかけはラジオ関係の漫画だったからというとても単純なものだ。

読み終わって感じたことは、この物語は主人公がラジオDJになっていく話なのだな、というものだ。ラジオDJとラジオパーソナリティ、この言葉の違いがこの本の場合にはおそらく重要なのだ。それは主人公鼓田ミレナをスカウトした麻藤という男の言葉からも伝わってくる。麻藤は芸能プロダクションに所属するパーソナリティの茅代まどかを「一般的なリスナーが求めるパーソナリティは君のような声の持ち主だ」と言い、鼓田を「全く逆―― 音域が高く人を安心させずアジテーターじみた傲慢な響きがある」と言った。つまり鼓田の声は理想のパーソナリティ像からかけ離れたものだということだ。

また、麻藤は鼓田を一貫して「パーソナリティ」ではなく「素人」と呼んでいる。おそらく鼓田のラジオ経験がほぼ0であることが理由なのだろう。しかし麻藤のある言葉からはどうにもそれ以外の理由があるように思えてならない。それは、麻藤が鼓田を呼び出し五分ほどのトークを頼んだときの「ヒマならちょっとマイクの前で喋っていかねぇか?」というものだ。鼓田が初めてラジオで喋ったときは急な成り行きによるものだった。しかし今回は違う。これは鼓田をラジオ局にスカウトした後の会話なのだ。スカウトした後ということは仕事として成立する話を期待している。それも理想のパーソナリティの声からかけ離れている鼓田に喋ることを要求している。それはつまり”理想のパーソナリティの声ではない鼓田の喋り”を求めているということだ。

最初の方で書いたように、麻藤は鼓田の声を「全く逆―― 音域が高く人を安心させずアジテーターじみた傲慢な響きがある」と言っている。しかしその後に「不思議だったのはそれでいて俺には不快でなかったことだ」とも言っているのだ。これが「素人」である鼓田に喋らせようとした理由である。素人でありパーソナリティ向きではない声、しかし不快でない。ラジオにおいてそんな声を持つ鼓田にはどんな名前が付けられるのだろうか。

ラジオにパーソナリティは必要不可欠である。音楽とパーソナリティの声を求めてラジオはつけられ、リスナーの声はパーソナリティに向けて送られてくる。そんなメディアで麻藤は鼓田に何を見出したのか。その答えとして一番近いものが帯に書かれた文の一節『ワケもわからぬままにDJデビュー!?』なのだと思う。ラジオパーソナリティとしてではなくラジオDJとしての鼓田を求めているからこそ「パーソナリティ」という言葉を使わなかったのだろう。最初に”主人公がラジオDJになっていく話”と書いたのはこれが理由だ。

 

ラジオで喋る人は当たり前だけれど人間で、それぞれに過去があり今がある。喋るのは本人一人だけれど周りの環境が喋る内容や、なにより本人そのものに強い影響を与える。それにより個性が生まれ喋りにもそれが出る。『波よ聞いてくれ』はそれを描いているのだと思う。次の巻が待ち遠しい。

 

 

波よ聞いてくれ(1) (アフタヌーンKC)

波よ聞いてくれ(1) (アフタヌーンKC)