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東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

いつもより少し長い話

 

 この間読んだ『バーナード嬢曰く。2』に、J.G.バラードの『結晶世界』と『失われた時を求めて』という本が出てきた。作家名とタイトルに覚えがあったけれど普段私は海外作家の作品は読まない。ではどこで見たのだろうと考えていたら思い出した、Mに教えてもらったのだった。確かラジオで喋ったなと思い、聴き返してみる。ユタを待ちながら第4回にどちらの本のタイトルも出てきていた。配信日は2014年07月12日、1年以上前だ。

こういう体験が時々ある。本を読んだり会話をしたりしていて、そのとき出た単語に聞き覚えがある、みたいなそういう体験が。きっと誰しも日常的に体験していることなのだろうが、私はこの体験の頻度が人よりも多い気がしている。というのも、自分はこれが詳しいといえるものがあまりにも少ないからだ。私は好きになるとそれしか摂取しない傾向にある。それは食事の場合もあるし、本や映画、音楽の場合もある。そこからそのジャンル全体に興味が移ることはほとんどなく、ただひとつのことを延々と繰り返すだけだ。そのひとつにはもちろん詳しくはなる。けれどそれはたったひとつに特化した知識であってそこから何か新しいものに派生することはほとんどない。本来ジャンルそのものに向けられるべき情熱を、最初からジャンルの枝の末端に注いでいるのだから当然だ。人と会話をするにしてもそんな知識はあってもなくても同じようなもの。この世界にある数え切れない程のコンテンツの中のとあるジャンルのとある作品だけに詳しい、これが時々とんでもなく無意味なことに思える。その作品しか知らないのでそのジャンルが好きな人と長時間会話を続けられる自信はない。詳しくない人との会話でも、ジャンルそのものの話が出ることはあれど自分が詳しい作品についての話になることはほとんどない。独立した知識は会話の役には立たないような気がする。会話のために知識を得る訳ではないが、人と共有するのも大切なことだ。それができないのはひどく寂しい。どことも強く繋がれない気がしてくる。

こんな自分の状況を変えたいと思い、本を選ぶときにはタイトルだけでなく作家で選ぶようにし始めた。興味を持った映画を見るようにし始めた。CDを借り始めた。ここ最近の変化はこれが理由だったのだ。こうして文章にして読んでみると滑稽に思えてくるけれど、今の自分にはこれがちょうどいいのだと思うことにする。自分が良い方向に進むための選択をしていこうと思う。

 

話は戻ってJ.G.バラードについて。というかそれを介しての体験について、だろうか。

以前どこかでこの言葉を聞いたな、ということがよくある。さっき書いた自分の知識のことなどは置いておいて、この体験自体が私は好きだ。以前どこかでした会話と今が結びつく瞬間は温かい気持ちになるし、友人とした会話が今とどこかで繋がっているように感じられるのもいい。こんな、いつか思い出して温かい気持ちになれる思い出をたくさん作っていけたらいいなと思う。

他の人もこういうことがよくあるのだろうか。もしあるのなら、そのときどんな気持ちなのだろう。誰を思い出すのだろう。私も誰かに思い出されるのだろうか。

 

 

 

最近読んだ本。