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東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

『引退』のこと

 

最初に書いておくけれど、今日のブログは決して暗いものではない。『引退』ということに対する自分なりの考えのまとめだ。考えばかりで感情的に書けていない気もするけれど、それはまた追々書くこともあるだろう。

 

 

何度か書いてきたように、私はFAMの他に白山シネサークル求、シネ求というところにも入っている。そこでは毎年夏合宿で三年生が引退することになっていて、今年三年生の私も引退した。

引退するとはどういうことなのか、それがはっきりと分からないまま合宿に行ったのだけれど、二日目の宴会で武藤君と話しているうちに自分にとっての答えに行きついた気がした。

 

私が所属していた白山シネサークル求、通称シネ求は東洋大学白山キャンパス4号館4階にある。シネ求のボックス(私の大学ではサークルの部屋をボックスと呼ぶ)に行く道は色々あるのだけれど私はよく外階段を使っていた。

いつだったか忘れてしまったけれど、武藤君と一緒にボックスに行ったことがあった。その時も外階段を使っていて、確か、武藤君、私の順で上っていたように思う。彼が階段を上るときの「トン、トン、トン」という音、私はそれと少しずれるように「トトン、トトン、トトン」と鳴るように上った。階段を上り切った私たちは今の音のリズムについて話し軽く笑いながらボックスに入った。

このなんてことない思い出をどうして今も覚えているのかというと、これがシネ求に行くまでの道で起こったことだからだ。シネ求に行く階段を上っていると時々ふと思い出すのだ。思い出すきっかけが常に隣にあったから今まで思い出せてきた。

でもこれからは違う。引退してからはあの道を使うこともほとんどなくなるかもしれない。そうなればもう思い出すきっかけがなくなりいつか忘れてしまうだろう。階段の思い出がいつの出来事だったか私は覚えていない。日付を思い出すようなきっかけを持っていないからだ。これと同じようにしていつか忘れてしまうのだろう。思い出すきっかけを失うことで思い出は消えていく。

 

だからといって今まで通り来れば解決、というわけでもない。たとえ名ばかりの引退でもサークル員ではなくなる。それ以降どれだけサークルに行ったとしても、それは以前のスタンスとは違うものだ。

ボックスで同期に会おうとしても、きっとこれからは連絡を取らないと待っていても会えないだろう。連絡せずに会える時間はきっと引退したことで終わってしまった。

 

思い出すきっかけを失うことと連絡しなければ会えなくなること、これが引退する前と後で変わってしまうことなのだと思った。

 

 

そういえば、今回の合宿で多くの人と仲良くなれた。これからも仲良くできるだろうか。難しいことやネガティブなこと、斜に構えたことは無視する。話して楽しいからこれからも仲良くしたいと思った。そこで止めておく。これ以上考えたとしても今の私の頭では良い方には行かないだろうから。

できることなら、これからもみんなと会えたら、と思う。

 

 

 最近読んだ本。