東洋大学白山ラジオサークル「FAM」

こんにちは。東洋大学白山ラジオサークル「FAM」のBLOGです。

また来る春は何なんだ……。

 

久しぶりにブログを書こうと思う。

このブログは今年の春も東洋大学白山ラジオサークルとしてのものである。ようするに、いまも私は大学生だということだ。こんな春は今年で終わりにしたい。

タイトルから想像がついた人もいるかもしれないけれど、今日は「さよなら」について、もっと言えば「別れ」について書こうと思う。

 

この間、『別れの博物館』という展示に行ってきた(人がいたから写真は見切れ気味)。

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内容はタイトルの通りで、世界中の人が手放したものを集めて思い出と共に展示するというものだ。世界中で開催されていて、日本では初開催なのだそうだ。感傷的なものからあっけらかんとしたものまでさまざまだったのだけれど、どれも人の息遣いが聞こえてくるようだった。

 

展示は大きく分けて2種類やっていた。

 

一つは思い出の品の展示。

写真撮影OKだったので撮りながら回った。

オーストラリアのカップルが恋人へ送った羽。少し離れたところに住む彼らは手紙でプレゼントを贈り合って遊んでいたらしい。これの他にはメッセージを書いた石を送ったりもしたのだそうだ。

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ドイツの女性が寄贈したレコード。オペラ歌手を目指していた父親が、昔付き合っていた恋人にプレゼントしたものだそうだ。戦争で声帯が傷ついた父親はオペラの道を諦めたということも書かれていた。恋人は亡くなるまでこれを手放さなかったのだという。横に音楽プレーヤーとヘッドフォンが備え付けられていて聴くことができた。

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展示数は予想以上に多かった。どの展示にも持ち主の思いがあり、読むたびに体力を使った。とても重いものもあり、そういったものは説明を読んだ後は見るだけでも心が引っ張られた。だから今回は載せていいものを少し載せるだけにした。

一番印象に残ったものをブログの最後に一枚載せようと思う。

 

 

もう一つはコンフュージョン

「さよなら」について来場者が書いて展示するというもの。そのままの形で飾ると読めてしまうので、紙飛行機にして飾るようになっていた。

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書く場所はカーテンで区切られて向こう側。照明にも気を使っていて、誰かがいることは雰囲気や陰でだけ分かるようになっていた。

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手紙を書く場所は懺悔室のようにも思えた。見掛けは全く違うのだけれど、自分の気持ちを外に吐き出すのが似ていたからだろうか。怒ったり、許されたかったり、別れのために必要なことは人それぞれ違う。それら全てを引き受けるための場所がここなのだと思う。

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私も書いた。会期終了後はクロアチアに保管されるらしいから、今頃はもう向こうにあるのかもしれない。

 

最後に一番心に残った展示の話。

『猫だるまと金色の小さなダルマ』

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持ち主が幼いころに祖父にもらった2つのダルマ。その祖父が亡くなり、思うところがありここに寄贈したのだという。

説明文の一部を引用。

私の部屋でこの2つのダルマはずっと見向きもされず、ただ本棚に置かれ続けました。26年間、一度もホコリを拭われないまま。

祖父はこのダルマに私の幸福を願ったけれど、私は祖父に何も祈りませんでした……祖父が亡くなるまで。

このダルマはこれから何回も、この展覧会の関係者が触るでしょう。その時に少しずつホコリが拭われていくでしょう。何だか、長い時間をかけて積もった汚れは、長い時間をかけて綺麗にされていかなければいけないように感じるのです。

最初にこれを見たときは年季が入ったもの特有の親しみやすさを感じた。しかし、この年季や親しみやすさがどのように生まれたのかを知ると、しばらくダルマから目を離せなくなった。私はこの日初めてこのダルマを見たから、寄贈の理由を知ってもやっぱり年季も親しみやすさも感じる。でもこの気持ちは時間に対するものでダルマの歴史に対するものではないんだなとも思った。

この寄贈は、一度強く拭って終わるような白々しいことをしないためにどうしたらいいかを考えたからこそのものなんだと思う。説明文の少しずつ拭われていくことを望むところにこの人の誠実さを感じた。

拭われなかったホコリが少しずつ拭われるように、見向きもされなかったダルマが多くの人に見られることがダルマと持ち主にとって大切なことなんだと思う。

 

書いている途中、久しぶりにダルマを抱きしめた。

 

最近読んだ本 

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)